自然とは何か
山極先生:ぼくらがいま話していたのは、北海道でアイヌ文化について触れてきて、アイヌの人たちは文字というものを持ってこなかった、文字がどのように出来てきたのかを考えると、文化が接触するときに文字というものが生まれたのではないか、ということをひとりの生徒さんが言ったんで、それはそうかもしれん、と。
だけど、文字を持っていないということが劣っているわけではない、文化的に劣っているわけではない。ぼくはアフリカで文字を持たない人たちとずっとやってきた。かれらの社会的に卓越した感性というのはよく理解していて、でもそれを理解するためには実際にその言葉をしゃべってかれらと対話をしないと分かんないよね、という話を今していたところです。
関野先生:それは同感です。ぼくも南米の文字のない社会で暮らしてきました。文字のない社会でも人間的に優れた、感性にしても人間的にも優れた人はいっぱいいるわけです。だから、文字があるなしで人を評価するというのは明らかに間違っているということになります。アイヌは白老町? 90歳のおばあちゃんに会いませんでした? (*アイヌ民族文化伝承者、宇梶静江さん)ちょうど1か月前に90歳のお祝いを東京でやったんです。いま彼女の映画をやっているんですよ。彼女の一生をあらわした印象的な映画なんですが、これから全国で公開していくらしいです。
ところで南米でもそうですが、アイヌで「自然」っていう言葉を何ていうか知っていますか? 聞いてない? たぶん聞いてないと思います。たとえばアマゾンの先住民に「自然ってなんていうの?」って聞いても答えられないんです。じつはアイヌにも「自然」という言葉はないんですよ。でも「何かそれに似た、それにあたる言葉はないですか」と聞くと「カムイ」なんです。
関野先生:「カムイ」という言葉は聞いたことありますよね? 要するに「神」です。かれらが感じていることは自然が神だということです。神さまが自然というのはぼくもずっと感じていたことで、「自分にとって神さまってなんだろう」って考えたときに自然が神さまじゃないかなと。自然というものは恵を与えてくれる。だけれども、それだけじゃなくてお仕置きをしたり、懲らしめたり、粗暴なこともしたりする。一神教じゃなくてインドの神さまみたいに・・・インドの神さまなんて浮気までするからね(笑)。
日本の神さまだってそうだよね。いい神さまばかりじゃない。暴れる神さまもいるし。まさに自然ってそうだよね。何か意図があって人間を懲らしめてやろうとか、恵を与えてやろうとかじゃなくて、ただ現象としてそういうことが起こっている。ぼくはアニミズム ―― 人間にとって自然界のあらゆるものが神である ―― という考えが、ぼくにとっていちばんしっくりきていると思うんですけれど、みなさんはどう思いますかね。
山極先生:ちょっと付け加えると、もともと「自然」という言葉は日本語にはなかったんだよね。明治時代に「ネイチャー」という言葉が入ってきて、その訳語として「自然」という訳語が与えられたんだけれど、それも「しぜん」とは読まず「じねん」と読んでいたんです。「じねん」というのは、「みずから立ち上がっていくこと」という意味で、まさにいま関野さんがおっしゃっていたように、それぞれの生物はそれぞれの生き方をしている、というのが「じねん」なんです。
その同じ漢字を「ネイチャー」に当てはめて、意味を変えてしまったのが今の「自然」という言葉なんだけれど、もともとアニミズム的発想から「じねん」というものは来ているんだ。