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続・eN講座◆修学旅行に行ってきました!その6

最後は関野先生で

自然と人間の新たな関係を考える

関野先生:ほかの質問ありますか? なければちょっと訊きたいことがあります。きみたちは世界を見回すときに人間中心に考えていると思います。それに対して君たちはどういうふうな考え方を持っていますか。

『沈黙の春』(1962)

民族で「自民族中心主義」っていう考え方があるけれど、生きもの全体で「人間中心主義」っていう考え方があると思うんだよね。それに対して昔レイチェル・カーソン(Rachel Carson, 1907-64)という人が『沈黙の春』という本のなかで、地球は人間だけのためにあるんじゃない、って言ったんだけれど、そんなことはアイヌにしても新世界の先住民の神話をみても、そういう考え方は昔からありました。チベットは祈りで満ちているんだけれど、ひとつは来世のために祈る、もうひとつは生きとし生けるものがみな幸福になるために祈る、です。ヨーロッパから見れば遅れていると見られていた国々では昔からそういう考えがありました。

あおばくん:人間中心になりすぎて温暖化が起こったわけですが、人間の自然利用の仕方がやりすぎ、ってことで今問題になったのかな、と思いました。自然を利用すること自体は間違いではないと思います。

山極先生:まあ、それはたしかにそうだよね。熱帯雨林やジャングルに暮らしてみて初めて分かるんだけれど、あらゆるものが自然のなかで流れているんだよね。ゾウが死んだらウジがわーっとついてあとかたもなく土になってしまう。ウジがハエになってまたほかのところへ飛んでいく。あらゆるものが自然の流れにそって無駄なく流れていくんだよね。都市の生活は、あらゆるものが人工物でできているでしょう。君たちが今いる学校なんてほとんど人工物でできているじゃない。リサイクルできないものばかりじゃない。人間は防御壁をかためて自然から大きな距離を置いてしまった。でもぼくたちは人工物のなかだけでは生きていけなくて、自然を「搾取」しなければ生きていけないわけだよね。そこがだんだん目に見えなくなっているから、この人工的な暮らしを続けていくと自然が痛んでいることが分からなくなってしまう。それが君がさっき言った地球環境がだめになっている、ということなんだけれどね。そこをもう一度、人間が自然のなかのひとつの生き物であるということを考え直しながら、どういうふうに人間にとってゆたかに自然に寄り添って生きることができるか考えてほしい。これは今でもできること。

関野先生:アマゾンの人たちは野生動物と同じように自然の環の中にいるんだよね。でもぼくたちはそれができない。それでも自然に寄り添ってでないと生きていけない。もちろんさっき言った人間中心主義ってよくないんだけれど、反対に自然中心主義っていう「自然だけが正しいんだ」っていう考え方になると自分たち住めなくなっちゃうよね。そこのところの折り合いをほどほどに、っていう考え方がぼくはいちばんいいと思っていて。いまのそういう考え方について、みなさんはどう思いますか?

こうせいくん:個人個人で「ほどほどに」という考え方は正しいと思うのですが、現代社会ではめちゃくちゃ人口が増えてしまってみんなが「ほどほどに」と思って自然とつきあっていても、どうしても(ダメージが)大きくなってしまいます。自然とつきあっていくためには、恣意的に環境を回していくことが必要なんじゃないかなと思って。そのためにぼくらは環境をうまく回していくための努力が必要なんじゃないかな、と思います。

関野先生:38億年前に生まれた生命は、5回の大きな絶滅期(Big 5)に遭遇しました。Big 5の最後の絶滅期に絶滅したのが恐竜なんだよね。で、今じつはBig6って言われているんだよ。何が滅んでいるかというと、ライオン、クマ、ゴリラ、ホッキョクグマ、シロナガスクジラのような強くて大きい生き物が中心になって滅んできている。Big5が起こったときには人間はいなかった。だから原因は天変地異。Big6の原因は人間の行為によるものなんだよね。

結局人間がいちばんの害獣。害獣を駆除しなければいけないのなら、いちばん駆除されなければならないのは人間だということになってしまう。ただ、人間がほかの生き物と違うのは考えることができるということで、反省する能力がある。だからぼくたちは考えなきゃいけないないと思うんだ。

あおばくん:少なくともぼくらのときにはすべてが絶滅することがないんで、今からいろいろな生き物が絶滅してもそれでも別にいいかなと思うんですけれど、そのなかで人間もずっと生き続けることもないかな、と思うんです。先生はどう思いますか。

関野先生:まあ、長続きすることもないんだけれど、そんな1000年後とか1億年後とかじゃなくて、まあ、自分の子どもや孫の時代までは考える必要があるんじゃないかなと思うんだよね。それ以降は次の世代が考えると思うんだよ。よけいなおせっかいしなくても。かれらに孫の世代に、じいちゃんたちがこんなことしたから地球がダメになっちゃった、って言われないようにするためには考えたほうがいいと思うんだ。

アメリカの東海岸にイロコイっていう先住民族(Iroquois)がいるんだけれど、かれらはジェファーソン(Thomas Jefferson, 1743-1826)がアメリカ憲法をつくるときに参考になった非常に体系的に憲法に近いものを持った人たちで、かれらは何かを決定する際に何を基準にするかっていうと、7代先の世代にとってどういう影響があるかと考えて大きな決定を下す、っていうんだよね。7代っていうと約200年先のことでしょ。ただそれは昔のことで、いまはデジタル世界になって、AIができて、ものすごい速さで変化している。だから今だったらぼくは50年先を考えればいいと思っているんだよね。

だからまあ、どうしたらいいか、って各自考えなきゃいけないので、考えてください。また機会があったら話しましょう。

洛南のみなさん、おつかれさまでした。Big6が来る前にぜひ「わたしたちの社会について考え」てみてください。それでは次回までさようなら。

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