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続・eN講座◆修学旅行に行ってきました!その2

水分補給はできてますか?

ひきつづき、洛南生の修学旅行体験の報告と質問です。かれらが訪れたのは「のぼりべつクマ牧場」。

ようこそ、登別へ!

登場する講師は山極寿一先生。

よぉ。ひさしぶり。

自分の見たことをまずは信じる

ゆうごくん:のぼりべつクマ牧場に行ったんですが、そのときちょっと面白いなと思ったことです。そこのクマたちはオスとメス別々に飼われていて、ぼくらがエサをあげたんですが、オスはエサが落ちてしまっても拾いに行くんですが、メスは落ちたエサはまったく拾わなくて。それはたまたまなのか、それとも別の理由があるんでしょうか。

山極先生:ふーん・・・で、それはおれに聞くのかい? それはまず現場の担当者に聞いてみなきゃいけないよ。疑問に思ったらまず「然るべき人に訊く」っていう態度が必要だろ。しかもさ、「ちがうな」と思ったときに君たちはどういう理由を考えたの? そこが重要なんだよな。

そこまで深く考えていなかったです・・・。

山極先生:いや、深く考えなきゃダメじゃない!(笑) 聞きゃあ分かるってもんじゃないだろ! たとえばさ、「オスとメスとでエサのとり方に違いがある」と思ったの?

ゆうごくん:オスもメスもエサをキャッチするのは下手なんですが、オスはそれを拾いに行くのに対して、メスは拾いに行かないで、メスは新しいエサを待っているんです。

山極先生:違いを認めるのはいいんだけれどさ、違いがどのようにして作られたのか、ってことを何に求めようとしているの? エサの与え方? あるいはオスとメスの違い? それともクマと飼育員の関係の違い?

ゆうごくん:性格なのかな、って思いました。

山極先生:性格ですか。オスとメス、違うケージに入っているんだろ? オスとメスが互いにディスターブドできる状態じゃないんだよな? そこで何で性格の違いが現れるの? どういう性格の違いなの?

ゆうごくん:オスはほったらかし、というか・・・その場のことしか考えていないのかな、と思いました。

山極先生:性格ってどういう風に作られていると思う? 君たちたちの性格ってどういう風に作られたの? 君たち、全員性格ちがうだろ? なんでそういう性格の違いが現れたの?

(無言)

山極先生:同じことだよね、クマも人間も。

ゆうごくん:親のしつけとか、ですか?

山極先生:「・・・ですか?」 じゃなくて、確信を持って答えろよ。だって自分のことだから分かるだろ?

ゆうごくん:親とか周りの人たちとのコミュニケーションで作られました。

山極先生:そうやって性格が作られるわけだ。だったら、君たちが見たクマ牧場のクマたちもそういう周囲の環境によってつくられたはずだろ? だったらかれらの周囲の環境ってどういう違いがあったの? オスとメスでそういう違いが現れるってことは・・・

あのさ、人間と違って牧場に置かれているクマの環境は自分でエサを捜しにいくわけにはいかないんだよね。与えられたエサをどうやって食べるか、毎日そこに神経を集中させているはず。それで違いが出てくるってことは、エサが与えられる条件が違っていることだと思うよ。

観察と分析と考察

山極先生:基本的にものを調べる姿勢ってもんがまったくなってないんだよ、君たちは。違いを認めるのはいい。でも、違いというものができた理由というものは、じっくりとその状況なり、あるいはプロセスなりってものを考えてみないと分からないわけじゃない? それをさ、ちょっとクマの知識がありそうな人に訊いて分かるのか? そうじゃないだろ、自分の見たことをまずは信じろよ。

それで違いを認めた、ってことは、その違いが何によってもたらされたのか、ってことを考えなきゃいけないわけだ。そうして、動物園の知識が豊富な人に訊かなければならないってところにぶつかったら訊けばいいんだ。ところがいまの君たちの質問は、クマのことをそれほど知らない人に訊いてもその場で分かる話だよね。

だから言うならば・・・質問が悪い。

(無言)

山極先生:たとえばオスのクマとメスのクマに同じえさを投げたのかとか、現場を見てないぼくからしたら、いろいろな疑問が湧いてくるじゃない。君たちは現場を見ているんだからさ、同じものを同じように投げたのか、オスもメスも同じように取り損なったのか、取り損なったあとオスとメスの行動が異なった場合、オスとメスはなぜそういう行動をとったのか、それは飼育員によるものなのか、あるいは現場の状況によるものなのか、遠いか近いかという状況によるものなのか、そこまで分析して考えなきゃいけないじゃない。

しかもなぜ君たちはオスとメスの違いに疑問を持ったのか・・・ということを自ら「なぜ自分はそういうことに疑問をもったのか」を繰り返し考えて、そこからまた新たな考えや問いが生まれるわけだな。そこに行きつかないと、科学的な問いにはならない。だって違いなんていっぱいあるんだからさ。当たり前のように起こるんだろ? でもその当たり前に起こることを、メカニズムとか理由だとかにこだわり続けていくと、本当に面白い問いと答えに結びつくかもしれない。それを真面目にやらないとアカンのよ。

だからいまの君たちの質問には、ぼくは答えられない。ぼくにはその状況が分からないし、君たちはぼくにその状況を詳しく説明できる力を持っていないから。

「自分の見たことを信じる」という金言をいただいたところで次につづく。

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