みなさんいかがお過ごしでしょうか。3月にお会いするはずが、きょうはもう4月!それもエイプリルフール・デーとは・・・。桜を眺めながら聴いてください。
ジャック・ダニエルと云う男
世界の何処に行っても通用するだろうお酒はほんの一握りです。そのうちのひとつ、ウイスキー「ジャックダニエル」の創業者ジャスパー・ニュートン・“ジャック”・ダニエル(Jasper Newton “Jack” Daniel)のお話です。
アメリカ南部に位置するテネシー州リンチバーグ(Lynchburg)にジャック・ダニエルは10人兄弟の末っ子として生まれました。誕生年については記録が消失していて定かではありません(1846~1850年と言われています)。家庭が貧しかった為、ジャックはダン・コール(Dan Call)牧師に引き取られます。コール牧師の農場には蒸留器がありました。その不思議な機械に魅せられたジャックは、農場で働くひとりの奴隷の男からウイスキー造りを学びます。
数年後、コール牧師は本業である牧師の仕事に専念するためジャックに蒸留器を譲ります。この時ジャックはまだティーンエイジャーでしたが、彼に仕事を教えてくれた奴隷を責任者として雇い入れ、自分の蒸留所として商売を始めました。
ところがすぐに南北戦争(1861-65)が勃発。激動の時代を迎えますが、ジャックはこの状況を逆手に取り南軍北軍両方に酒を売り膨大な富を手にしました。
1866年「ジャック・ダニエル蒸留所」が正式に設立。米国初の登録蒸留所の誕生です。ジャックは精力的に販売を続け、1904年に米・ミズーリ州セントルイスで開催された万国博覧会では「ジャックダニエルold No.7」が金賞を受賞。知名度が一気に広がります。
彼の音楽好きは有名で、蒸留所敷地内には友人が集まるためのダンスホール付きの酒場をオープンしたほど。自ら結成したバンド「シルバーコルネットバンド」で演奏し楽しみました。その影響なのか「ジャックダニエル」はフランク・シナトラ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズら多くの音楽家に愛されてきました。
ジャックは政治にも関心があったようで、1907年10月に演説を聴いて以来、当時の大統領セオドア・ルーズベルトに心酔。ルーズベルトが再選した暁には特製記念ボトルを贈ると公言していましたが、1911年ジャックは不慮の事故により亡くなってしまいます。
この年、現在のあの有名なデザインのブラックラベルが導入され(ジャックを偲んで、と言われています)、唯一無二「ジャックダニエル ブラックold No.7」の完成です。
さて、ルーズベルトはどうなったかというと…3選目の大統領という願いは叶わず、1912年の大統領選で敗退します。
ジャックの思いを遂げようと、のちの後継者が1981年に「ジャックダニエル ルーズベルトデキャンタ」を発売しています。
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ジャック亡きあとはジャックの甥が蒸留所を引き継ぎ、のちの禁酒法の際には企業買収などがあり、「ジャックダニエル」はより強い企業の所有となり世界の確固たるブランドとして継承されてきました。現在も蒸留所のあるテネシー州リンチバーグは、禁酒法の名残により酒類の販売が禁止されているドライ・カウンティ(dry county, 禁酒郡)です。蒸留所内では特別な許可を得て観光客向けに少量販売があるそうです。
若くして酒造りに魅せられ働きだしたジャスパー・ニュートン・“ジャック”・ダニエル。音楽を愛し、仲間を大切にし、政治にも熱心でした。彼の作ったウイスキーは、今日も良く働き良く遊ぶ人たちの共感を呼ぶのは必然だと感じています。
炭酸で割っても良し、ロックも良し、バーで飲んでもキャンプで飲んでも良し。万能なウイスキーです。ぜひお試しあれ。
なりた
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