いよいよ最終連にきました。過去の出来事、華やかな栄光の場面を見せてきた「かれら」のいま、を見ている詩人は何を考えているのでしょう。
最終連でかれらは「それが喜びに違いないからギャロップする(gallop for what must be joy)」と記されていることを考えれば、この馬たちは何ら不満を感じていないようです。
かれらはかつて、かれらのアイデンティティーを作りあげた「双眼鏡(fieldgrass)」や「ストップウォッチ(stop-watch)」に煩わされることがなくなって、その「無名性(anonymous)」を享受しています。
たしかにわたしたちは、他人の評価 ―― 実のところ、それがわたしたちのアイデンティティーを規定してしまうのですが ―― にいらだち、それに煩わされないようになりたいと思うことがあります。
その上、タイトルの「At grass」という表現は、自発的にであれ、不本意ながらであれ、固定した雇用契約がない人についても使われることがあります。それならばわたしたちがこの馬と自分たちを同一視したくなるのも当然でしょう。
しかし、首を振る馬に否定の身振りを読みとるのは、この馬を人間の文脈でとらえることです。それは人間の楽しみのために、かれらに名声とアイデンティティーを与えたことと大きな違いはありません。
それだからこそ、明敏な詩人は上記の引用部分に「~に違いない(must)」の1語をそっと挿入しているのです。
詩は優しい「馬丁(groom)」とその息子を、距離を置き、感情を交えずに描いて静かに終わります。この馬たちを待ちかまえる平和な死を暗示しているのかもしれません。
●gallop
馬の歩き方、駆け方はwalk < amble < trot < pace < rack < canter < gallopの順で早くなり、gallopは4脚とも地表から離れる最速の走り方。
●for what must be joy
Gallop for joyの感じは、dance for joy(喜んで小躍りする)やweep for joy(うれし泣きする)などから理解しましょう。
なお、jump for joyは比喩的に「大喜びする」の意味でも使われる慣用句的表現。たしかに日本語の「跳び上がって喜ぶ」も実際に跳んでいない場合にも使われますから。
●must
先ほどもお話しましたように、ここでのmustはfor joyと言い切ることに対する留保を示しています。For joyと思い込みがちなわたしたちの視線の身勝手さをmay以上に明るみに出す、というべきでしょうか。これを「滑り込ませる」ことによって、断定(assertion)を弱めています。この詩人の特性の表れ。
●at grass
本来は「仕事を休んで、休暇を取って、引退して、失業して」の意味。
●明敏な詩人(perceptive poet)について
作者ラーキン(Larkin)の詩は、知的洞察と感情の抑制によって特徴づけられますが、このAt Grassが収められている詩集The Less Deceived(1955)のタイトルは ―― 「欺かれること、それだけ少なく」とでもぎこちなく訳すしかないのですが ―― わたしたちが基本的に「欺かれる」もしくは「惑わされる」存在であることを前提とし、その上で、そうした錯誤や過誤、感溺をできるだけ少なくしようとする、という意味になるでしょうか。屈折したと言えば言える、ラーキンの姿勢を浮き彫りにしています。
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お話ししたいことはまだたくさんありますが、時間がギャロップしてまたたく間に過ぎてしまったようです。
言葉に対して感覚を研ぎ澄ましてほしいとみなさんにお願いして、結びとしましょう。そうするとふだんのコミュニケーションの現場で傷つくことになるかもしれませんが、しかしまた、そうなれば他人を傷つけにくくなります。それはきっといいことなのです。
いかがでしたか。詩が苦手だ、と思っていた人も、いつしか詩のもつ魅力に気づかれたことでしょう。
今後もわたしの講座では、学生のみなさんに文学を学ぶ楽しさを体験していただきますぞ!