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読書の秋は英詩を読もう③第一連「距離」

おはようございます。ベンツです。

みなさんは詩のリズムを感じることができたでしょうか。きょうからは、
ラーキンの「草をはんで」を連(スタンザ)ごとにみていきましょう。

おはようございます。高橋です。

さて、この詩には何が描かれているでしょうか。第一連から見ていきましょう。

詩人は二頭の引退した競走馬を見ています。三好達治の詩「大阿蘇」を思い出す人もいるかもしれません。「大阿蘇」では、馬が阿蘇山のふもとで雨の中、静かに草をはんでいました。

いずれの詩も、少しわびしい気配を漂わせながらも、平和な情景を提示しているように見えます。もちろん違いはあります。たとえばこの詩では、馬に当たっているのは雨ではなく風(wind)です。

しかしこの詩でとくに印象的なのは、詩人がさまざまな角度から馬を描写しているにもかかわらず、おそらく意図的に、でしょうが、一度も「馬」という語を使っていないことです。

詩人は描く対象 ――「かれら(they)」―― がどのようなものであるのかを見極めるのに、どうやら気乗りがしないようです。

「この目にはかれらはほとんど見分けられない(The eye can hardly pick them out)」から始まって、この詩には明確な描写や、単純な断言に対するためらいを示すような語があちらこちらに見られます。この第一連では「~のような(seeming)」、次の連でも「ことによると(perhaps)」「かすかな(faint)」「色のあせた(faded)」などが現れます。

これらの語は詩人の抱えている留保の感覚の表明として働いているようです。どういうことかと言うと、詩人は断定をしようとしながら、同時にそれに対してある種の疑念を投げかけているのです。

この印象は主として、詩人が馬との間に置いている「距離」によって生まれています。冒頭の1行で明らかでしょう。この物理的もしくは空間上の距離は、次の連に進むと時間上の距離に転換されますが、次回の講義でお話します。

補足として、第一連の単語解説をつけておきましょう。

●distress

本来、「心理・感情を動揺させ、悲しませる」という意味なので、詩での用法は一般的ではありません。第四連で再度、解説しましょう。

●tail and mane

「しっぽとたてがみ」馬を表す言葉です。maneは前回も説明しましたように、発音は[ mn ]で、6行目のagain[ə’ɡn]と、韻(rhyme)を踏んでいます。同じく、1行目(out)と4行目(about)、2行目(in)と5行目(on)も韻を踏んで、abcabcの形になっています。

●anonymous

「匿名の、無名の」の意味。よくメディアで取り上げられる、国際的なネットワークを持つハッカー集団「アノニマス」で聞いたことがあるかも。

ex) an anonymous donation of one million yen(100万円の匿名の寄付)

三好達治「大阿蘇」<参考>

雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭蕭と降つてゐる
山は煙をあげている
中嶽の頂から うすら黃ろい 重つ苦しい噴煙が濛濛とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草を食べてゐる
草千里濱のとある丘の
雨に洗はれた靑草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな靜かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは靜かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる

ふたつの詩を比べてみるとおもしろいですね。
次回の講義は20日ですぞ。それまでにもう一度聴いておきましょう。

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テーマの著者 Anders Norén