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翻訳日本文学翻訳国際フォーラム2018◆翻訳ってむずかしい!?

ひきつづき、ベンツです。
教授、前回にひきつづき、JLPP主催の翻訳国際フォーラムでのお話ですね。

そうです。前回登場の作家・町田康さんは、古典翻訳のお仕事をこんなふうに語っています。

「古典を現代語に翻訳するとき、その雰囲気に負けるときがある。「古典」と聞いて、襟を正したくなるような…でも(自分が現代語に翻訳した)『義経記』は800年前の語り物です。つまり語り継がれていく物語を耳で聞いた話。そこには原文が敢えて選ばなかった、もしくは原文からこぼれて落ちているものがたくさんある。それをすくいあげる作業が翻訳(現代語訳)かなと思ってます」

町田さんは、江戸時代の蘭学者たちがまったく分からないオランダ語の本をどうやって訳したのか、という話で締めくくりました。「子ども用の本で読んだので確かではないのですが、まったく分からないオランダ語をどうやって訳したか―それは「気合!」だそうです。だから、翻訳って最後は気合かと・・・」

第三部は、映画・マンガ・演劇などの「翻訳」に係る方たちのお話。

司会のイアン・マクドナルド(Ian MacDonald)さんは、本だけでなくテレビや商品などの翻訳も手掛けています。

長年、ニューヨークで日本映画を紹介してきた平野共余子(きょうこ)さんが日本映画でのエピソードを、フランス人翻訳家のマチュー・カペル(Mathieu Caprel)さんは、映画字幕の翻訳の難しさについて語ります。

「黒沢監督の作品をニューヨークで紹介したときのことです。監督にインタビューをすることができたので、映画監督になるにはどんなことをしたらよいのか聞いてみたところ、『世界の名作を読むこと。そして脚本を書き続けること。文学から物語の構成を学び、書くことによって表現することを学ぶのです』とのことでした。1950年に公開された『羅生門』(”Rashomon”、芥川作品「藪の中」が原作)は今でも「ひとつの事件に食い違う証言が生まれてくる」際に「羅生門のようだ」とニュースのなかで使われるほど、アメリカでは定着している言葉になっています」(平野さん)

「映画字幕は語数制限という技術的な制限があります。それがいちばん大変なこと。早口でセリフを話されるとすべての内容を伝えるのが非常に難しくなります。そしてもっと困るのが言語ゲーム。「エイコ」という女性がほかの女性に「エイコ」と名乗られ、「それはあなたの名前じゃなくて、わたしの名前よ」というと、相手は「それじゃビー子」、こういった言語ゲームはほんとうに難しい」(カペルさん)

ドイツ人翻訳家のセバスチャン・ブロイ(Sebastian Breu)さんは、ドラマトゥルクという仕事について語ります。

「ドラマトゥルクとは、劇場所属の学芸員&翻訳家の役割をします。演出家と役者の間にたって、原作の保護者になったり、相談役になったりします。言葉が身体の動きで表現されるのが演劇です。言葉にはそれ独自なものがある。言葉にならないことの方が多い。それを可視化できるように、どうやったら舞台に組み込めるか、そういったことを意識するのがドラマトゥルクの翻訳の仕事かもしれません」(ブロイさん)

マット・アルト(Matt Alt)さんは、アメリカ人翻訳家。小説からマンガまであらゆるメディアを翻訳します。翻訳とは現地の言語環境に適合させる作業、とマットさんは言います。

「ローカライゼーション(Localization)とは、元はコンピューター用語で、OSに適合させることから来た用語ですが、今では一般に使われます。では、翻訳するとき、どこまでローカライズすればよいのでしょうか。『ドラえもん』を訳したとき、大好物の「どら焼き」をどうしようか迷いました。パンケーキでも、クッキーでもない。アメリカ人にはなじみのない食べ物ですが、結局Dorayakiとそのままにしました。ひとつにはこのマンガに非常によく出てくる単語だということ、もうひとつはSukiyaki, Teriyakiなどと同じで発音しやすいこと、が決めてでした。これは、無理やり英語にしない勇気、です」(アルトさん)

そのほかにもオノマトペ(擬音語)の翻訳の難しさ、「くやしい!」という言葉のもつ多義性、など、話は尽きず、最後はまた「どら焼き」で盛り上がって終了。

読者対象が大人か子どもか、でも「どら焼き」がDorayakiになるかChocolateになるか、というのはおもしろいですね。
そんな翻訳の面白さを体験するには高橋教授の翻訳で…

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