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おとなも自宅学習◆「われ思う」ことを書いてみよう⑧以地球人的视点迎接希望

みなさん、ひきつづきこんにちは!ボビーです。

きょうは、もうひとり、中国語で参加してくださった韓 寧(Han Ning)さんの「われ思う」をご紹介いたしましょう!ちょっと長いですが、さあ、まずは読むべし!(中国語で)

エントリーナンバー8 韓 寧さん 

以地球人的视点迎接希望

美国时代周刊的《寂静的夜:1914年第一次世界大战圣诞休战的故事》在人们黑暗的心中点亮了对和平与人性光辉的渴望,“德国士兵与英国士兵交换香烟、食物、纽扣、帽子作为圣诞礼物,坐在一起唱圣诞颂歌,给坐在身旁的敌人看自己随身携带的家人照片,并相互分享各自的生活经历”然而,圣诞休战并没有带来永久的和平,仗要继续打,杀戮还得要继续,士兵的天职是为国而战,他开了枪,认出了那正是昨夜坐在自己身边说想念家人的那人,他的心更加痛了。今天的我们被交战双方渴望和平所深深感动,同时,理解那些士兵别无选择只能继续交战的痛苦让我们的心备受折磨。这个历史事件给人的感悟是,要思考一下“我”的视角,尤其在这样特殊的2020年。

2020年以新冠病毒肆虐开年,带来恐惧,接踵而来的是经济衰退,经济与政治纷争,不同国家、人种、甚至社群之间的社会纷争,层出不穷。2020年世界多地又遭受洪灾,连蝗虫也不安分,让不安在受灾的区域蔓延。2020年虽然是个流年不利的“灾”年,却恰恰是我们每一个人思考“我”的最佳时机。“我”的归属在那里?我的归属在家庭?在自我?我属于某一个国家吗?或许,还有一个让人看到希望的选择:我属于地球吗?我是地球人吗?

若这个思考的“我”属于自我,抑或属于自己的家庭,那么,我可以事不关己高高挂起,置世界的纷争、洪水于一己之外,一切与我无关,这样的“我”可以继续快乐地享受生活的一切美好:看看书、看看电影,简单的一日三餐,唯一与往昔不同只是新冠病毒让人锁在家里,不得远游。如果“我”属于某个国家,这个“我”就要先天下之忧而忧了,会因新冠肺炎带来的国与国之间的摩擦而苦闷不已。地球村与全球化正朝着区域性字给自足发展,全球对话与合作正朝着阻断交流与合作的方向前进。这个先天下之忧而忧的“我”随着不断升级的纷争会久久陷于愁苦吧。

然而,还有第三种选择!把“我”放到整个地球,从一个居住在地球上的人的视角出发而思考问题,以一个与其他生物分享地球的“我”来看世界。当“我”成为地球上的人类,人就会更加关注大自然、濒危物种、气候变化以及生态平衡。当“我”成为地球人,人就会停止指责他国,不再纠缠于这是你国的过错,必须为此受到惩罚之类的口诛笔伐中。如果“我”是地球上的一分子,是地球人,就能跳出禁锢思维的茧,我们可以重获信心:人类是拥有智慧与爱的生物。如果每一个“我”成了“我们”,在新冠病毒带来的前所未有的挑战面前,我们可以重回合作、交流,共同抗击灾难。众志成城,共见光明!

人类的进化不仅是身体的进化,我们的思想也需要随着历史进程而进化,每天我们经历的事情都会触动思想进化的基因,打开电视,看着世界新闻,如果我们对遭受苦难的人能心生同情,若我们尝试重构相互理解与尊重,若我们不对已经取得的成就吹嘘夸耀,我们正从地球人的视角去思考问题。

将来,随着宇宙探索的发展,人类思想的进化势必不能停歇,还需把“我”更扩大到宇宙,从宇宙人的视角看待事物,志在更广阔空间的交流与合作。(1218 words)

谢谢, 寧

Ningさんが何を言いたいのか分かった人、手を挙げて!

漢字を使う民族のみなさんでも、ちょっと分かりにくい漢字がありますが、これは繁体字(古い漢字)と簡体字(現在、中国で使われている漢字)の違いのためです。でも、なんとなく推測できそう。

できなかった方用に、わたくしピピが訳した日本語で再度お読みください!

先輩、中国語もできるんですか・・・
只能说一点点

地球人の視点で希望を迎える

『タイム』誌に掲載された「1914年、第一次世界大戦中に起こったクリスマス休戦の物語」は、平和と人間性の受容を切に願った失意の心に希望をもたらした実話で「ドイツ兵とイギリス兵がクリスマスの贈り物として、タバコや食糧、ボタン、帽子などを交換し、クリスマスキャロルをともに歌い、敵味方同士、ともに座って家族の写真を見せ合い、個人的な体験を語り合った」のです。しかし、そのクリスマス休戦は永遠の平和ではありませんでした。戦争はその後も続きましたし、兵士たちは敵を殺害しつづけなければなりませんでした。昨夜は隣同士で座り、いかに家族が恋しいかと語り合った人間を撃たなければならなかったのです。平和に対するかれらの共通の思慕に深く感動すると同時に、かれらが殺し続けなければならなかった心の痛みを理解するとき、わたしたちの心も苛まれます。この歴史上の出来事から学ぶべきことは、この特別な年、2020年に「わたし」という立場について考える、ということです。

2020年は、恐怖、経済不況、経済的政治的紛争、人種間、コミュニティ間での社会的紛争を引き起こしたコロナウイルスの世界流行(パンデミック)で始まりました。2020年は洪水、地方でのイナゴの異常発生、不安などが続いています。2020年は特別な「悪い」年ですが、「わたし」について各人が考えるのにふさわしいタイミングです。わたしはどこに属しているのだろうか?家族に属しているのか?自分自身?国に属しているのだろうか?もしくは、あなたに希望をもたらすこんな選択肢もあります:わたしは「地球」に属しているのだろうか。

この「わたし」が自分自身または家族にのみ属するとすれば、世界の紛争を気にせずに幸せになることができます。なぜなら、洪水や紛争が「わたし」の近くで起こらないから。言いかえれば、自分とは無関係なことだからです。このような「わたし」は、何が起ころうとも本、映画、三食の食事を楽しんで幸せになることができます。ただ、コロナウイルスパンデミックの最中のように旅行に行かないということが、以前との違い。もし「わたし」が特定の国に属しているならば、コロナウイルスによってもたらされた国家紛争に苦しむかもしれません。地球村(グローバル・ヴィレッジ)やグローバリゼーションは、地域の自給自足に戻っていますし、国際な協力やコミュニケーションは、コミュニケーションと協力を妨げる方向に向かっています。この、国というものに関心をいだく「わたし」の場合、次第に高まる紛争に長い間憂鬱な気持ちになるかもしれません。

けれども、地球上に「わたし」を置いてみる第3の選択肢ですと、人間と人間以外の生物とが共有する地球上で暮らす、ひとりの人間の視点から考えることになります。「わたし」が地球上の一人間になれば、自然をより大切にするでしょうし、絶滅危惧種、気候変動、生態学的バランスといった問題に心を留めるでしょう。「わたし」が地球上の一人間であれば、他国を非難することはないでしょう。「わたし」が地球の一員であるならば、「わたし」は紛争と混乱によって織られた繭(まゆ)を壊すことができますし、人間というものは知恵と愛を持つ独自の生き物であるという信念を取り戻すことができます。「わたし」が「わたしたち」になれば、コロナウイルスという前例のない挑戦の前で、「わたしたち」は協力し、コミュニケーションをとり、ともに災害と戦うことができます。再度、互いに立ち上がることで、並んで光が見えるのです。

人間の進化は、身体の進化だけではありません。私たちの心は歴史的な出来事の中で進化する必要があります。わたしたちは毎日、進化遺伝子を引き起こす出来事を経験しています。テレビをつけて世界のニュースを見るときに、もしもわたしたちが苦しんでいる人たちに思いやりの心を持ち、国家紛争時に相互尊重と相互理解を再び築き上げようとするならば、もしもわたしたちがすでに達成したことを自慢しなければ、わたしたちは地球上の一員としての視点から考えているということになります。

宇宙探査の進歩にともなって、将来における人類の心の進化は不可欠ですし、宇宙人となるために「わたし」を拡大する必要があるのです。一地球人ではなく、より広いコミュニケーションと協調を目標とする一宇宙人に。

英語版はこちらから

ありがとうございます、Ningさん!ふだん、わたしたちが口々に「わたし」「わたし」と言うときは、おそらくいまの自分自身のこと。その「わたし」から、一歩引いてものごとを見ている「わたし」は、今まで見えなかったものが見えている、視野の広い人間になれる、ということでしょうか。ある宇宙飛行士がこんなことを言っています。宇宙から見た地球は美しいビー玉(the most beautiful marble)のようで、もろくて、指でさわったら粉々になりそうだった(looked so fragile, … that if you touched it with a finger it would crumble and fall apart)、と。

超大作エッセイでも、お気軽エッセイでもすべてOK。条件は「おとな」のみなさんが日頃思うことをエッセイにする、ということのみ!おとなの夏休み宿題企画「われ思う」への参加お待ちしております。

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3 コメント

  1. 三郎 2020年8月3日

    「心の進化」が必要だというご主張、賛同します。人類の歴史を考えるとそれははっきりわかります。
    人類誕生時点までは家族、あるいはそれに類する小さなグループで生活してきました。それが部族になります。日本では戦国時代には「藩」というまとまりになります。藩同士が戦うのは当然と考えていました。ところが明治維新で国ができました、藩は県という行政単位に代わりました。もう互いに戦う関係ではありません。国ができると他の国と戦いました。当時、日本人の多くはアメリカ人を見たことはありませんでした。ただ憎むべきはアメリカと教えられて戦いました。敗戦後、アメリカ人を知ると、ふつうの人間ではないかと思うようになりました。これは心の進化だと思います。同じ人間だという証拠に、音楽や文学など共通に楽しめるものがあります。各国語は当然あってよいのですが、文字が共通になればもっとよいのではないかと思います。その意味で私は世界共通の文字を作成することが必要と考えます。
     

    • Ning 2020年8月4日

      コメントどうもありがとうございます。色々勉強になりました。先生のおっしゃる通り、社会と交通が発達するとともに「異民族」は「わたし」のまわりにやってきます。そこで交流しなければ、自分の世界のなかだけでくらしているならば、永遠に「わたし」は「わたし」、「異民族」は「異民族」です。それぞれの文化は平行線のように発展していきます。けれども交流があれば、お互いに興味をもてば、それぞれの民族の文化や社会、文学や芸術など勉強し、影響し合い、「わたし」は新しい「わたし」に変化します。お互いの文化を理解することで、相手に対する尊敬は増します。そうやって「わたし」は大きくなり、豊かな「わたし」になるかと思います。そして先生がおっしゃる通り、共通語があればこのような相互理解が深まるかと思います。民族間の相違が大きいほど、衝突が深刻な時ほど、相互理解と相互尊重を再構築すべきだと思います。そのために必要なのが、対話、傾聴、交流です。

  2. アポロ 2020年8月4日

    はじめまして。
    「心の進化」この言葉の響きに安堵を覚えます。これがないとほんとうに歴史を繰り返してばかりになります。悲観的にならざるをえないです。
    心の進化。なにか諦めていたものに希望の光が差した気がしました。ありがとうございました。

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