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英語で学ぼう!◆祈りの手

こんにちは、スコットです。

コロナ月間は、美術鑑賞を楽しんではいかがでしょうか。今回はわたくしの愛するアルブレヒト・デューラーについてご紹介いたしましょう。

「自画像」(26歳のときのデューラー)

ドイツ・ルネサンス期を代表する画家であり版画家でもあるデューラー(Albrecht Durer, 1471-1528)は、写実的な表現を得意とし、正確に観察して描くその分析的な目は、同時代のイタリアの天才レオナルド・ダ・ビンチにも匹敵すると言われています。

デューラーについては人びとに長く語られている逸話があります。

ニュルンベルクのある小さな村に、18人の子だくさんの家がありました。デューラー家です。金細工職人だった父親は、子どもたちのために毎日夜遅くまで働きましたが、それでも苦しい生活でした。

18人のこどもたちのうち、ふたりの兄弟には密かな夢がありました。画家になりたかったのです。けれども、デューラー家にはふたりをニュルンベルクの学校に送り出すほどの余裕はありません。かれらは夜になると話し合い、ついにこう決めました、コインを投げて勝ったほうが先に学校へ行き、負けたほうが炭鉱で働いて相手の学費を稼ぎ、卒業したら交代すればいい、と。

日曜日に教会でふたりはコイン投げで決めました。勝ったのは弟。負けた兄は弟の学費のために、重労働の炭鉱の仕事につきました。4年の年月のうちに、弟の才能はまたたくまに開花しました。彼が描いた油絵も木版画も銅版画も、たいていの先生たちよりも素晴らしい出来栄えだったのです。弟は自分の作品でお金を稼ぐことができるようになりました。

卒業し、久しぶりに故郷の村に戻った弟をデューラー家は大喜びで迎えました。歓迎の夕食の席で、弟は兄に言いました。「兄さん、ぼくが稼いだこのお金で今度はあなたが学ぶ番です」

ところが兄はうつむいて涙をながすばかり。「いいや、ぼくはもう学校には行けないよ」4年間の炭鉱での厳しい労働のために兄の手は節くれだち、右手は関節炎にかかっていました。もはや筆を持つような繊細な動きができなくなっていたのです・・・

それから450年以上の年月が過ぎ、デューラー作品は世界中の美術館に飾られています。それら名作のひとつに「祈りの手(Praying Hands)」という作品があります。その手はデューラーが自分を芸術家にしてくれた兄のものでした。

「祈りの手」(デューラー)Wikipediaより

この絵を見てもわかるように、デューラーの才能は素晴らしいものでした。銅板の線を彫るための鉄の道具から、絵画用の繊細な筆まで自由自在に使いこなすことができたかれの手は、同時代のある学者が「かれ以上の優美な指をだれも見たことがないだろう」と本のなかで語っています。

Praying Handsは現在、オーストリアのウィーンにあるアルベルティーナ美術館に展示されています。(クリックするとあるべルティーナ美術館のサイトにジャンプします)

「野うさぎ」(1502)
「メランコリアⅠ」(1514)

ウェブサイトでデューラーの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

「四人の使徒」(1523-26)

こちらはウェブ・ギャラリー・オブ・アートで検索したデューラー作の油絵「四人の使徒」。この作品はドイツ、ミュンヘンの アルテ・ピナコテーク (国立美術館)が所蔵しています。このウェブサイトでは3世紀~19世紀のヨーロッパの絵画を中心に検索することができます。上記の「四人の使徒」を検索すると、制作背景などが詳しく解説されています。また、絵画をクリックすると、拡大画像がでてきます。

デューラーの繊細な描写とエピソードをお楽しみいただけたでしょうか。みなさんも自分の好きな画家の作品を世界の美術館のウェブサイトから探し出してみましょう。本物を観に行く前に…ぜひ。

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テーマの著者 Anders Norén