こんにちは、なつです。今回はゲストに動物園ライターの森由民さんをお迎えして、科学探偵「シャーロック・ホームズ」の魅力にちなみ、「科学動物園」についてお話しましょう。
なつ教授、こんにちは。「科学探偵」といったキーワードには惹かれますね。
その昔、もっと昔の大昔、珍しい動物たちは友好を結びたい国への貢ぎ物として(政治的な道具として)使われました。現在のように市民も見ることのできるようなスタイルになったのは、オーストリア・ウィーンの宮殿横に作られたシェーンブルン動物園(1752年成立、1779年一般公開)や、フランス革命後にはパリ動物園(メナジェリー、1793年)と言われています。
ただし、シェンブルン動物園はコレクションも偏り、飼育技術等からも近代的とは言えないかと考えられます。国立自然史博物館の一部として成立したパリ動物園の市民に開かれた科学性とはだいぶ違います。その後も多くの動物園については人々の娯楽の対象として見世物とはっきり区別できない時代が続きますが、1828年、ロンドン動物園がロンドン動物学会の「研究資料収集施設」としてオープン。さらに本格的な「科学動物園」の誕⽣です。
ちなみに、そのときの正式名称Zoological Gardens(動物学庭園)の省略Zooがこんにちの「動物園」の意味になりました。
よく、ご存じですね。
科学探偵ホームズがロンドンで活躍した時期は19世紀末、つまり、ロンドン動物園が設立されてから数十年の頃ですが、その頃の日本では、ウィーン万博(1873年)に向けた政府肝煎りの動物コレクションを基に、19世紀唯一の上野動物園(1882年)がつくられ、その後すぐ、京都市民の寄付を受けた京都市動物園が生まれる(1903年、一方でそれは皇太子成婚記念としてでした)といった時代背景になります。ホームズに限らず、この時代の英仏の物語に目を配ることも、「動物園」を考えるよすがになると思われます。
そうですね。大英帝国の繁栄のもとに、19世紀末には様々な発明品――新聞、電報、電話、カメラなどが科学探偵ホームズの武器となりました。動物園でも、動物たちを観察し、データをとることによって学術的な研究が深まっていきます。それはそのまま、動物園の歴史となっていきます。
森さん、ありがとうございました。次にお会いするのは恒例の千葉ZOOフェスタ2018ですね!よろしくお願いいたします。