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お酒ものがたりの付録◆ジャックの相棒ニアレストとは?

こんばんは。カッツェン大学ウイスキー学研究科博士後期課程のジェシカです。

みなさん、こんばんは。いつも「街路」にいらしてくださってありがとうございます。そういうわたしも「街路」にはよく足を運ぶひとり(ひとネコ)。今月は、アメリカのウイスキーの代表格「ジャックダニエル」の創始者のお話でしたね。きょうはティーンエイジャーだったジャックにウイスキーの製造法をいちから教えた人物について語りたいと思います。

1800年代末、ジャックダニエル蒸留所のオフィスに飾られていた一枚の写真。まんなかの白い帽子をかぶった人物がジャック本人ですが、その右隣(写真では左)に座る黒人こそ、ジャックにウイスキーの製造法を教えたと言われるネイサン・”ニアリスト”・グリーン(Nathan “Nearest” Green, 本名のNearisを間違えて綴られたことからついた呼び名)の息子ジョージと考えられています。まだ色濃く残る人種差別の時代に肩を並べて座っている創業者と協力者の息子の位置関係は、わたしたちにジャックとニアリストの強い絆を教えてくれます。

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なりたさんのお話にでてきたように、ジャックは幼少期、実家から8キロ先のところに住むコール牧師一家に引き取られ、牧師が所有する農場兼蒸留所で働くことになりました。蒸留の仕方を教えてくれるニアリストはコール牧師の家の奴隷で、実際の酒の造り手でもありました。牧師は幼いジャックにこう言います「ニアリストおじさんがわたしの知っている中で世界一のウイスキーの造り手なんだよ」。こうしてジャックは「ニアリストおじさん」と共に汗を流し、次第にウイスキー造りはふたりの情熱になっていきます。

ところが醸造所にのめり込んでいたコール牧師に業を煮やした家族や信者が「教会をとるのか酒造りをとるのかどちらかに決めてください!」と詰め寄ります。コール牧師は観念して醸造器一式をジャックに売却することにしました。晴れて自分の醸造所を持つことになったジャックと、奴隷制度廃止(1865年)で奴隷の身分から自由民の地位を手にしたグリーン。ジャックは小さな醸造所をその1年後に開設し、グリーンをマスター・ディスティラーとして雇い入れます。マスター・ディスティラーとはウイスキーの製造過程の全てを深く理解している人物のこと。自分にウイスキーの全てを教えてくれたグリーンこそこの地位にふさわしいとジャックは考えたのでした。

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南北戦争以前から酒造りは奴隷の仕事でした。農業で成功した農民たちは奴隷を使って酒造りにも励みました。アメリカ初代大統領のワシントンも東海岸最大のライ麦ウイスキーの蒸留所を持っていましたが、そこで働いていたのは6人の奴隷と2人のスコットランドからやって来た職人たちでした。

多くの奴隷はプランテーションで過酷な肉体労働をさせられましたが、そのなかでも「酒造り」に長けている者は「醸造者」として重宝がられました。アフリカ大陸では古くからコーンビールやフルーツを使った蒸留酒などを楽しむ伝統がありましたから彼らにも独自の醸造の知識があったのです。

また、「ジャックダニエル」が蒸留の過程で不純物を取り除くためにサトウカエデの木炭でろ過される工程は、奴隷たちが持ちこんだ蒸留の伝統から発展した可能性がある、とも言われています。グリーンがジャックに教えてくれた方法は、彼がその昔仲間と楽しんだお酒を造る方法だったのかもしれません。

サトウカエデの木炭を作る作業(ジャックダニエル醸造所、1920~35年頃の写真

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ジャックとグリーンの関係は、ジャックダニエル社にも地元の人たちにもよく知られた話でした。ただ、当時のグリーンのことを詳しく記録した書物等は残されていません。奴隷制度の影に隠れてしまった「ニアリストおじさん」の業績を称え、2017年にフォン・ウィーバー(Fawn Weaver)という黒人女性によってニアリスト・グリーン財団(the Nearest Green Foundation)が設立されました。

財団がつくった 醸造所のお酒は「アンクルニアリスト プレミアムウイスキー(Uncle Nearest Premium Whiskey)」という名前で販売され、その収益は奨学金プログラムなどに活かされています。

ちなみにニアリストおじさんは、ヴァイオリンも弾けるエンターテイナーな方だったそう。

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