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ふみふみのふらっと東京散歩◆松尾芭蕉記念館〈清澄白河駅~三越前駅編その3〉

こんにちは、ふみふみです。

ふみっと散歩、今回は深川界隈の最終回、ゴール目指して歩きます!

前回ご紹介いたしました深川資料館の江戸に思いを馳せたあとは、すぐ隣の霊厳寺(れいがんじ)へ。

相次いだ大火事の出火原因と思われて、江戸の寺社はすべて城外に移転されました。霊巌寺もここに移転する前は今の日本橋付近にありました。
松平定信のお墓もありました
霊巌寺もあればおしゃれな紅茶屋さんもあるストリート

清澄白河ポイント③江東区芭蕉記念館

小名木川を渡って・・・
到着したのが芭蕉記念館。いがいとこじんまり。左にみえるのはバショウの木。
芭蕉の名前は、彼が過ごした庵にあったバショウからとっています。
ちなみに芭蕉庵があったころの景色はこれ。まんなかあたりに見えるのが芭蕉庵。手前にある橋は隅田川にかかる駒留橋。現在の両国橋近くにありました。
3階から見える2階の風景。ちょっと芭蕉庵ぽい

1675年、松尾芭蕉は伊賀国上野(現在の三重県伊賀市)から江戸にやってきました。
当時の江戸は、全国各地から職を求めたり、一攫千金を夢見てやってくる人たちの集まる新興都市でした。芭蕉も俳人として名をあげたい、と思ったのかもしれません。

人口が増え続ける江戸では、市民のための水を確保することが最重要事項でした。俳人としては駆け出しの芭蕉は、神田上水工事に携わり、記録係のバイト生活で生計を立てます。

1680年、関西にもその名が知られた頃、芭蕉はここ深川に移り住み、自身の俳号も「芭蕉」と称します。

江東区にある句碑・史跡などが22個紹介されています。
1682年「八百屋お七の火事」と呼ばれる天知の大火で芭蕉庵がいったん焼失したことが書かれています。

天地の大火では、「下谷・浅草・本所を焼き、本郷・神田・日本橋にも延焼」したとあります。このとき芭蕉庵も類焼してしまいますが、避難ののち、多くの人の助けにより再び深川へ戻ります。その後1686年春、新しい芭蕉庵で門人たち約40名が集まり、蛙をテーマにした句合(くあわせ)が行われました。そこで生まれたのが、有名な

古池や蛙飛び込む水の音

そういえば、なぜこの句が代表作なのか?ご存知でしょうか。伝統的に「蛙の鳴き声」といえば「山吹や…」となるはずだった当時、「古池や…」と詠んだ芭蕉の、型にとらわれない革新性が表れているのだそうです。あらためて、歴史を変えた偉大な人だったんですね。

芭蕉(いちばん上)を囲んで弟子たちがつくった歌が書かれています
芭蕉とお別れしたあとは、墨田川にかかる新大橋を渡り三越前駅まで歩きます。
中央区・日本橋の「水天宮」は安産祈願で有名。着いた頃には日も暮れて・・・
17時半くらいの日本橋付近。すっかり夜に。
しめは日本橋コレド内の親子丼のお店で、お腹から温まりました♪

第4回の散歩はここまで。

本日の散歩メニュー 

※訪れたのは緊急事態宣言が出る前、去年の暮れのことですので、紹介した資料館・お店等は事前に調べてくださいね。

・スタート:清澄白河駅

・目的地:三越前駅

・歩数:9,000歩くらい

・時間:(深川江戸資料館と江東区芭蕉記念館の見学時間を含めて)3時間くらい

・清澄白河ポイント:小名木川、江東区江戸深川資料館、芭蕉記念館

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2 コメント

  1. 拓郎 2021年2月13日

    三回にわたりありがとうございました。私にとり江戸の大きな魅力は、手作り、アナログ、DIY、そしてその頂点の画家や職人の腕前でしょうか。
    以前東京に住んでましたが、電車や地下鉄で移動していて、いくつかの点としてしか東京を知りません。今年の秋頃にはぜひ清澄白河から歩いてみたいです。

  2. ふみふみ 2021年2月14日

    拓郎さん

    コメントありがとうございます。
    リサイクルのサイクルの緻密さなど、江戸の暮らしのすごさをたくさん知りました。
    そしてすばらしい画家や職人のおかげで現在の日本の文化があるのかもしれませんね…。

    普段は街を通り過ぎるだけで、なかなかじっくり散歩する機会がないですよね。今年の秋には気兼ねなく外出できる社会になるよう願うばかりです。

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