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ふみふみのふらっと東京散歩◆江戸時代へタイムスリップ〈清澄白河駅~三越前駅編その2〉

こんにちは、ふみふみです。

前回のつづきで、東京都・江東区にある深川江戸資料館をご案内しましょう。

天保年間、深川佐賀町の町並みを想定して復元された家々は、住んでいる人たちの職業や家族構成で、部屋の作りや持ち物などが細かく置かれています。

まずは八百屋さん。奥にみえる樽は何に使われているのでしょうか。
ヒントは隣のお米屋さん。

江戸はサステイナブルな町。精米をしたあとの糠(ぬか)はとなりの八百屋さんではぬか漬けの床作りに使われます。ちなみにこのころ、参勤交代でやってきた地方の武士たちの間で「江戸患い」と呼ばれる病気が流行ります。今でいう「脚気」のこと。ビタミンB1不足が原因で、病状が進むと手足に力が入らなくなり起き上がることもできなくなるのですが、参勤交代が終わって地元に戻り玄米(精米されていない米)を食べると治ったとか。そう、糠にはたくさんのビタミンB1が含まれているのです。そこで江戸の知恵として、ご飯のおともに「ぬか漬け」がたくさん食べられるようになったのです。

向かいのお店は何の問屋さんでしょうか?

答えは干鰯(ほしか)問屋。鰯(いわし)を干して乾燥させたあとに、固めて作った肥料のことを言います。従来の肥料であった草木灰や人糞よりも軽く、とくに綿花栽培に効果があった干鰯はたいへんな人気がありました。

大店の干鰯問屋はこんな土蔵ももっています…
川には猪牙舟(ちょきぶね)という水上タクシーが待っています。

こちらは長屋の様子。

これは政助の家。政助の仕事は、棒手振(ぼてふり)という、あさり・しじみのむきみを天秤棒で売ること。玄関横にはかまどや水がめがあり、今でいうワンルーム6畳、独身男性一人暮らしといったところでしょうか。このように住む人物の設定が具体的でおもしろかったです。

長屋という言葉はよく聞くけれども、実際はこんな感じなんですね。隣の家とは薄い壁1枚隔てただけ。江戸の庶民の多くは長屋住まいだったそうです。

長屋の裏には惣後架(そうごか)と呼ばれる共同トイレやごみ溜め(ゴミ置き場)があります。このころの糞尿は集められ近郊の農家の肥料として使われましたし、プラスチックごみもなく、すべてが再利用できる理想のリサイクル社会でした。

天ぷらの屋台。1メートル四方もないくらいのサイズです。

ほかにも江戸時代からつたわる伝統工芸品の展示や、深川を舞台とした北斎の浮世絵の紹介などがあるなかで、こちらは「シャチハタ」の重ね押しで作る北斎の浮世絵スタンプコーナーは見逃せません。

ひとつずつスタンプを押していくと・・・
でてきました!北斎作(シャチハタ作)「神奈川沖浪裏」!
ふー!つかれちゃった!

かれこれ1時間以上いても飽きない江戸の空間。いかがでしょうか。館内はボランティアの方たちの熱い解説つき!分からないことは何でも聞けるので、学生のみなさんは日本史のテストの前にここで確認を。次は芭蕉ゆかりの資料館へ向かいます!

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テーマの著者 Anders Norén