13日のペルセウス座流星群を見た人、手をあげて!ということで、本日は、その日、幸運にもスターたちの饗宴を楽しんだ方からの宿題です。
エントリーナンバー16 すずさん
夜空を想う
都会では見える星の数は数えるほど、とよく耳にするが、地方都市とて、満点の星空を見ることは今ではもう叶わない。この夏休み中、私は星好きの相棒とともにペルセウス座流星群の極大日にそんな星空を求めて1時間車を走らせた。星空予報によると私の住む内陸よりも日本海側の方が条件が良いと彼は言うが、自分の体力と相談をしつつ、街の灯りを避けた近場でどこか星空観望に最適の場所はないかとGoogle Mapを開いた。目星をつけた場所の標高を国土地理院の地図で確認し、あとはカーナビに誘われるままに移動。星に夢中になっていた中学生の頃、自作の小型赤道儀とお年玉を貯めて買った一眼レフカメラを背負い、夜中に自宅から10キロ離れた車も通らないであろう峠の頂きを目指して自転車をこいだ頃とは隔世の感である。
休話閑題。辺り見渡す限り田園地帯にある高台に目的の場所を見つけた。ほぼ360度の展望が得られる絶好の場所。しかしその場所を独占はできず。デート中と思しき先行車がいたり、にわか天文ファンの車が何台かやってきてライトで目が眩むやら、落ち着いて星を見ることができなかった。それでも機材の準備がてら木星や土星を望遠鏡で見せてさしあげたところ、「うわぁ。こんなにきれいに見えるんだぁ!」と喜んでいただけてこちらも嬉しくなった。
夜半を過ぎた頃からは、懐中電灯に赤いセロファンを巻いて「光害」を出さないことを心得た星好きの人だけになり、地面にシートを敷いて寝転がってゆっくりと全天を見渡す。途中低層に薄い雲が流れていったり、一時的にもやがかかったり、下弦の月が出てきたりと最良の条件ではないものの、痕(煙のようなもの)を残す明るい流星をいくつも見ることができた。
写真班の相棒は、夏の大三角形を横切る流れ星の撮影に見事成功していた。昔はフィルムカメラで、30分も手動か自動追尾で露出をかけて現像にも手間がかかったものだ。だが今は高感度のデジタルカメラの恩恵で、ほんの30秒ほどの固定撮影で昔の写真以上の質のものが撮れてしまう。そんな最新の機材を羨望しつつも、漆器のお椀が大量生産の樹脂製の椀にとってかわってしまったような寂しさも禁じえない。
一瞬の星のきらめきを半永遠のデジタル写真にする喜びとは対極に、その輝きを心に留めることでしか得られない「何か」も私にはむしろ大切である。自分に必要なもの。それは書籍やインターネットに見る完璧なまでに美しい星空の写真ではないようだ。自分で見上げた星空なのかもしれない。日々のささくれだった心を少しなりとも癒やしてくれるのは、そんな儚い光である。20年ぶりの星見後の朝帰りは心地よい眠さを誘った。
「こんなところ、地元の人しか知らないだろうに…..」と思った高台。粋な名前がついているのを奇異に思ったが、朝の連続TV小説で使われた場所だと帰宅後に知った。(1177語)
ありがとうございます!贅沢な時間を過ごされたすずさん。もったいないので、長いバージョンで宿題を提出していただきました。見上げた夜空がそれぞれにとっていちばん美しい夜空、ということで、みなさんもきょうから夏の大三角形チェックはいかがでしょうか。これなら都会の明るい夜空でも比較的しっかり見えるはず。
HAN Ning 2020年8月15日
Each sentence of this prose paints a romantic and esthetic picture of starry starry night. Each word is a shining star that decorates the dark velvet of the sky. The beauty of the words and the mind picture linger on and on like a poem.