ということで、今回はおとなの夏休み宿題にふさわしい「物忘れ」についてです。
エントリーナンバー14 あっきーさん
物忘れについて
最近物忘れがひどい。50を過ぎればよくある話だと人は言うだろう。仕事上のミスにつながる物忘れは困るし、忘れないようにそれなりに対策はしている。そうではなくて、ここで話題にしたいのは忘れても別段誰かに損害を与えないケースについてだ。
私は本が好きでよく読む。趣味の読書の楽しさは主に2つあると自分は考える。1. 読んでいるときの楽しさ 2. 思い返して意味をじわじわ味わう楽しさ。これらが物忘れにより減じてしまうのである。
1. については長い話だと読んでいるうちに初めの方を忘れてしまうということがある。前の方を適宜読み返したりして思い出す。煩わしい。
2. についてはよほど感銘を受けていないとしばらくたつとほとんど忘れてしまう。こうなると内容を忘れてしまうのに本を読むことに意味があるのか?あるいは忘れてしまっても読んだことになるのか?という問題が出てくる。
読書の楽しさの定義自体を変える必要があるのかもしれない。悩ましい。(404語)
あっきーさん、ありがとうございます!若い時分には思いもつかなかった、おとなになってこそ実感する悩みですね。こういうのはどうでしょうか、忘れることによって二度(いや、三度でも四度でも)楽しめるなんて超ラッキー、と。かく言う自分も犯人がうろ覚えの推理小説を片っ端から再読中です。
三郎 2020年8月13日
「思考の整理学」で250万というベストセラーを出された外山滋比古先生は「物は忘れろ」ということをエッセイで主張されました。記憶力のすぐれた人ばかりいる東大生たちは、その意図をいぶかって講演を依頼しました。やはり東大でも「忘れてしまっては何もできない」という疑問を受けたにも関わらず「物は忘れろ」と主張したといいます。先生の真意は分かりませんが、たぶんその理由のひとつには、「忘れるようなことはたいして重要ではない」という考えがあると思います。なんでもかんでも覚えていると邪魔になるのです。そういう邪魔なものが多いとそれが邪魔して創造的なことができません。不要な外部からの知識を捨てることで本来の自分の思考が誕生します。