etwas Neues

Find something new!

ジャックの偵察◆共感とは①意識と感覚

こんにちは。ジャックです

2020年1月10日、鎌倉芸術館ホールで行われた、テーマ「お産と共感」でのプレゼンテーションの様子をお伝えしましょう。

登壇者の一人目は、ベストセラー「バカの壁」でもおなじみの、解剖学者・養老孟司先生。養老先生は、自然からできている「人間」が、いま、自然と切り離されている時代になっている、と警告します。

「人間は生まれたとき0.2ミリの丸だったのに、何十年かしたら、みなさんのようにこんなに大きくなった―それはなぜでしょう。わたしたちのからだを作っているものはすべて自然からできています。田んぼや海、山で育まれたものからできています。田んぼを指さし「将来のおまえだろう」と言っても響かないでしょうが、田んぼで育てられたものを食べることにより、それらがエネルギーとなって体になっているわけですから、わたしたちは「田んぼのなれの果て」ということもできます。このように元来、田んぼと体は地続きでした。「土から生まれて土に戻る」と言われてきたように、「体」はわたしたちが持っている典型的な自然なのです」

「AIの時代は、理性の時代、意識の時代です。意識は脳がつくるものであり、形がありません。AIが囲碁や将棋で名人に勝ったという事例がありますが、それはAIが「勝ちたいな」と思ってできたわけではない、あくまでも勝ったのは技術者(人)です。「そのうちに、AIが人に置き換えられる時代がくる」「AIが自分自身を改良する時がくる」などという「シンギュラリティ」を唱える人もいますが、それは一種の宗教みたいなもの」

「「何かが何かに似ている」という言い方は「どちらもよく理解している」ということが前提です。わかっていないものに似ることはできないからです。人間はそこまでよく理解されているわけではありません。なのに「AIが人に似てくる」という考えが起こるのは、現代社会が「人間なんてこんなもの」と割り切っているから。こんな世界では人間が大事にされるわけがありません」

「人間は「やわらかい」生き物です。人間はその状況に適応して生きつづけてきました。「AI」というのは<0,1>の理屈ですべてが動いています。これは人間の一部の性質がAIになったということであり、人がAIに似てきたわけではありません。AIの世界は、あくまでも人間が自分の体の外側につくっている。裏に人がいることを忘れてはいけません」

*******

「「都会」は意識中心でつくられた世界です。 意識、とくに理性というものは<0,1>で書くことができるもの。都会の地面は舗装されています。現代人は予測不能な自然、「土」があるのが気に入りません。都会の地面は平らで、同じ固さになっています。このように、わたしたちは自ら日常を制限してしまっています。「変化がいやだ」というのは、「感覚」が違うからであり、その「感覚」を排除しようとしているからです」

「同じものは世界にひとつとない。コップが1000個あれば、みなちがう「コップ」です。花だって、ことばでいえば「花」ですが、ひとつずつちがうはず。なのに、人間は「花」で同じくします―たしか0.2ミリの玉だったのに、いま、どこが同じなのか。同じ人間なのだろうか―わたしたちが「自分が子どもだったころ」というとき、意識だけが「同じ」と思っているだけです」

「違いを見つけ出すことが「感覚」の仕事、感覚は変化を感じるものなのです。
変化が人間を作ります。その変化に対して、感覚をなくしてブロックするのが今の世界なのです。たとえば、お産は痛いものですが、「痛い」は病気としてとらえられています。本体、痛みがあることが大事であり、痛みは信号です。幻肢という、「ない手」が痛いという症状。脳の中に、手があったときの「場所」がまだ残っているが、感覚がフィードバックされないため、脳のバランスが悪くなることによって起こります。そのときは、実際にはない手を鏡で反対側の手を見せて治すという方法がありますが、現在こういったスケープゴート的なことが社会現象でも起こっています。関係ないもののせいにすることによって、安心したり、気持ちが落ち着いたりするからです。そういった安心や安全を得るために、自分しかいなくていい、他人はうっとおしい、という世界に共感は生まれません」

「変化は毎日毎日のこと、現代社会は「こうでないといけない」という意識が強く、子どもに関していえばそれが虐待の原因となります。子どもの相手をするのは、自然を相手するのとおなじこと。自然のよさというのは、思うようにしようとするとうまくいかないところです。赤ん坊が静かに泣いたら、怖いでしょう。すべては自然であるから」

「人間の同一視する能力は、人類の進化と関係があります。脳の大きさと相対的なのは集団の個体数。言語の起源にもなっています。同じ言語を話す事で集団が機能するからです。自分と相手を交換できるのが人間。a=bという数式、aとbは形がちがうのにわざわざイコールにするのが人間なんです。このとき「文字と数字をいっしょにしていいの?」と子どもは考えます。それは子どもが自然だから。考えない子どもばかりだったら、それは怖い。教育はこれを知らなければいけないのです」

次回は霊長類を研究されている先生方の登場です。お楽しみに。

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2024 etwas Neues

テーマの著者 Anders Norén