人類学者であり、医師であり、探検家であり、写真家でもある関野吉晴先生が、砂鉄から作った鉄器で、丸太から作った舟に乗り、インドネシアから日本までを航海した冒険についてお話してくださいました。
利根川の砂鉄を集め、岩手で炭を作り、手作りのふいごで火を起こしながら鉄器を作り・・・と、縄も布も食べものもすべて一から作って、インドネシアから日本へ航海をした関野先生。これはそのときの丸太舟「縄文号」です。
日本人の先祖が大陸から渡ってきたルートのひとつとして「海のルート」があります。関野先生はそれを実際に確かめてみようと思い、実行しました。それまでは学生たちに「先生と一緒に何かやりたい」と言われても断ってきたそうですが、この冒険を機に「自分が体験したことから分かる」ことを学生たちと分かち合うのもいいことかもしれない、と思われたそうです。
さまざまな大学から参加した学生たちは、食料班、綱作り班、布作り班、などに分かれ、日本各地を回り、一から作ることを学びました。
たとえば、舟を作るための石器。これは何十キロもの不純物のない砂鉄が必要です。その砂鉄が多く含まれるのは利根川の源流、栃木県の我妻川。採取した砂鉄を溶かし、5つの鉄器を作るのに必要な炭は約3トンもの松の木から作られました。「悪いことをしましたが、これで鉄の歴史が森林破壊の歴史だということを身をもって分かったのです」
美術館では、関野先生のライフワーク、今までに自分の目で見て体験してきた「人類の足跡」グレート・ジャーニーでの写真展も同時に行われています。ぜひ、みなさん関野ワールドを堪能ください!
縄文&海のルートといえば…前田教授!